被災
西山PAで休憩後、徳田大津JCTを過ぎた辺りで、スマホの地震警報が鳴った。
どうせすぐ止むだろうと進むと、暫くしてまた鳴った。
今度は明らかに揺れている。
道路標識が大きく横に揺れる。
ハザードを付けた車が左に停止している。
私もそれに倣った。
長い、大きい揺れ。
東京で東日本大震災に遭った時より遥かに強い。
やがて揺れは止まり、車が流れ始める。
穴水まで約20キロだが行けるか。
しかし、進んで行くとまた左に止まっている列が見える。
前に進むとその理由が分かった。
亀裂が出来て段差になっている。
進めない、戻るしかないが、里山海道の逆走は完全に交通違反で危険だ。
さらに下の道路は標高が低く、津波が来ているかもしれない。
降りたところで土地勘がなく、どこが安全かも分からない。
ここいても崩落するかもしれないが、ここで助けを待つ方がいいのか。
最大震度は7、志賀町。完全にここだよ。
動けないでいると一台の車が右から段差を越えて進んで行く。
怖い、落ちないで、と思いながらも通過していく。
そして2台3台と続く車が居た。
一方で逆走して行く車も居た。ゆっくりハザードを付けて。
私達は逆走し、西山PAを目指すことに決めた。
しかし、その流れもやがて止まる。
段差がある。
前の車はゆっくり慎重に段差を越えて行く。
覚悟を決めるしか無い。
私達もそれに続く。
対面通行の所から逆走を解消できたが、
段差はまだいくつかあった。
止まっては進む。
道の脇から町が見え、学校のような建物もある。
ここに車を止めて歩いてみようかと言ってみても、
まだ小さい子供を抱っこして行くには、冗談にもならない。
いくつか段差を越えて行った時、やや大きい段差に出会った。
ややと言っても、タイヤがパンクしたり、底をぶつければ一貫の終わりだ。
前の車の人たちは外に出て、石をどかしたり、並べたりしていた。左車線側ではなく、右から上がるようだ。
私も手伝いたいと見にいったが、皆怖い顔をして黙々と作業をしていた。
挨拶すら出来なかった。
それを越えても、またやや大きい段差に出会った。
私が躊躇っていると右から追い越しをされた。
どんどん右から抜かされていき、迷惑を掛けている気持ちになったが、
先に全部行かせてからにしようと落ち着くことにした。
自分が行けそうな番になった。
越えられそうな所を妻に見てもらいながら進んだ。
そのあたりで、とにかく里山海道から降りたいという気持ちが強くなっていた。
地図上で田鶴浜ICの近くに小学校があるのが見える。
迷う。
向かいから車が来ているのに、徳田大津JCTの真ん中で10秒ほど止まってしまった。
田鶴浜に行くと決め、左にハンドルを切った。
私達は田鶴浜小学校の隣の体育館に入ることが出来た。
そこには避難所になっていて、テレビもあって、津波がそこまで来ていないことを知れた。
設営に携わった方々には感謝しかない。
後から思ったことだが、最近新車に替えたばかりだったが、昔の車では車高が低くて段は越えられなかっただろう。あるいは、もし西山PAで休憩していなかったら。
自分が今生きているのは、知恵や勇気の賜物なのか。
いやきっと、単に運が良かっただけだろう。
今は何も考えられない。