85-hi’s blog

side fire を目指すブログ。好きなものは、将棋、数学、ポケモン、YouTube、子供と遊ぶこと。

被災

妻と娘との旅行で、穴水に向かって能登里山海道を進む。

西山PAで休憩後、徳田大津JCTを過ぎた辺りで、スマホ地震警報が鳴った。

どうせすぐ止むだろうと進むと、暫くしてまた鳴った。

今度は明らかに揺れている。

道路標識が大きく横に揺れる。

ハザードを付けた車が左に停止している。

私もそれに倣った。

長い、大きい揺れ。

東京で東日本大震災に遭った時より遥かに強い。

 


やがて揺れは止まり、車が流れ始める。

穴水まで約20キロだが行けるか。

しかし、進んで行くとまた左に止まっている列が見える。

前に進むとその理由が分かった。

亀裂が出来て段差になっている。

進めない、戻るしかないが、里山海道の逆走は完全に交通違反で危険だ。

さらに下の道路は標高が低く、津波が来ているかもしれない。

降りたところで土地勘がなく、どこが安全かも分からない。

ここいても崩落するかもしれないが、ここで助けを待つ方がいいのか。

ラジオをつけると地震と、やはり津波警報が出ている。

最大震度は7、志賀町。完全にここだよ。

 


動けないでいると一台の車が右から段差を越えて進んで行く。

怖い、落ちないで、と思いながらも通過していく。

そして2台3台と続く車が居た。

一方で逆走して行く車も居た。ゆっくりハザードを付けて。

私達は逆走し、西山PAを目指すことに決めた。

 


しかし、その流れもやがて止まる。

段差がある。

前の車はゆっくり慎重に段差を越えて行く。

覚悟を決めるしか無い。

私達もそれに続く。

対面通行の所から逆走を解消できたが、

段差はまだいくつかあった。

止まっては進む。

道の脇から町が見え、学校のような建物もある。

ここに車を止めて歩いてみようかと言ってみても、

まだ小さい子供を抱っこして行くには、冗談にもならない。

 


いくつか段差を越えて行った時、やや大きい段差に出会った。

ややと言っても、タイヤがパンクしたり、底をぶつければ一貫の終わりだ。

前の車の人たちは外に出て、石をどかしたり、並べたりしていた。左車線側ではなく、右から上がるようだ。

私も手伝いたいと見にいったが、皆怖い顔をして黙々と作業をしていた。

挨拶すら出来なかった。

 


それを越えても、またやや大きい段差に出会った。

私が躊躇っていると右から追い越しをされた。

どんどん右から抜かされていき、迷惑を掛けている気持ちになったが、

先に全部行かせてからにしようと落ち着くことにした。

自分が行けそうな番になった。

越えられそうな所を妻に見てもらいながら進んだ。

 


そのあたりで、とにかく里山海道から降りたいという気持ちが強くなっていた。

地図上で田鶴浜ICの近くに小学校があるのが見える。

迷う。

向かいから車が来ているのに、徳田大津JCTの真ん中で10秒ほど止まってしまった。

田鶴浜に行くと決め、左にハンドルを切った。

 


私達は田鶴浜小学校の隣の体育館に入ることが出来た。

そこには避難所になっていて、テレビもあって、津波がそこまで来ていないことを知れた。

設営に携わった方々には感謝しかない。

 

後から思ったことだが、最近新車に替えたばかりだったが、昔の車では車高が低くて段は越えられなかっただろう。あるいは、もし西山PAで休憩していなかったら。

 

 

 

自分が今生きているのは、知恵や勇気の賜物なのか。

いやきっと、単に運が良かっただけだろう。

今は何も考えられない。